に帰ることはこば


  あの男に会ったのは、どうあっても自分の夢を救おうと自暴自棄になって歩いていた、眠れない夜のことだった。ニューヨークにやってきたのはまちがいだった。忘れさられた路地や広場や波止場地区から、同じように忘れさられた路地や広場や波止場地区へと、果てしなく曲がりくねる古びた通りが織りなす迷宮や、欠けゆく月のもとで黒ぐろと古都バビロンのようにそびえる巨大な現代の塔や尖塔《せんとう》のなかに、心を揺り動かす驚異や刺激を探し求めたというのに、見つけだしたものといえば、わたしを支配し、麻痺させ、消しさろうとする、恐怖や圧迫感だけだった。
 幻滅は徐々に訪れた。はじめて街に来たとき、河にかかる巨大な橋から夕暮の街を目にしたが、信じられない頂きやピラミッドが菫《すみれ》色の靄《もや》から花のように繊細にそびえたち、輝く金色の雲や夕べの最初の星たちと戯れていた。やがて灯りが窓にともっていくなか、その下には輝かしい流れがあって、ライトが揺れながらすべりゆき、低いホーンが唸って異様な和音をつくりだし、街そのものが夢に見る星の散らばる大空と化して、妖精の音楽をしのばせ、カルカソンヌ、サマルカンド、エル・ドラードといった、壮麗な都市や半ば伝説の都市の驚異をたたえるにいたった。その後まもなく、わが夢想にとって価値ある古びた通りへと入りこみ――ジョージ王朝風の赤煉瓦の建物が建ちならび、かつて金ぴかのセダンや鏡板を張った馬車をながめたことのある、柱つきの戸口の上で小さな窓ガラスのはまった屋根窓がまたたく、狭い曲がりくねった小路や通りを進みつづけ――これこそ久しく望んでいたものだとはじめて実感したときには、いつか詩人にさせてくれるやもしれないような、そんな宝物を勝ち取った思いがしたものだ。
 しかし成功と幸福はかなわないことだった。明るすぎる昼の光は、月が愛らしさや昔の魔術をほのめかしていたところに、汚らしさや、外国人や、石の不快な広がりを照らしだすばかりで、峡谷のような通りに殺到する群衆は、険しい顔つきで目の細い、ずんぐりした浅黒い外国人や、夢をもたず、まわりの景色に馴染まない狡滑な外国人で、美しい緑の小道やニューイングランドの村の白い尖塔を心にいだく、昔気質の青い目の男にはまったく何の意味もなかった。
 だから願っていた詩のかわりに、ぞっとするような虚ろさと、いいようもない孤独が訪れただけで、わたしはついに誰もあえてあらわしたことのない恐ろしい真実――囁かれることもないまま深く隠された秘密――を知った。ロンドンに古いロンドンがのこり、パリに古いパリがのこっているのとは異なり、この石と騒音の都市は古いニューヨークを体感させてはくれず、実際には既に死にたえていて、そのぶざまな死体は完全な防腐処置もされずに、生きていたときには何のかかわりもなかった奇妙な生物がはびこっているのである。この事実を発見するや、安らかに眠ることができなくなったが、諦観の安らぎのようなものがよみがえるにつれ、昼間は通りを避けて、夜にだけあえて外出するという習慣を身につけるようになった。夜には闇が亡霊のようになおもとどまっている過去のいくばくかを呼び出し、古びた白い戸口がかつてそこを通った屈強な男たちを思いだす。このような慰めを胸に、わたしはいくつかの詩を書きさえしたし、あさましくも敗残者として逃げ出さないよう、なおも故郷みつづけた。
 そしてある眠れない夜に、あの男と出会ったのである。場所はグリニッチ地区の人目につかない異様な中庭だった。わたしは詩人や画家の自然な避難所だと聞いて、無知のあまりそこに住みついていたのである。古びた通りや家屋や予想外の小さな広場は、まさしくわたしを喜ばせたが、詩人や画家が大声でそう自称する者にすぎず、その奇矯さも見かけだおしで、詩や絵画という純粋な美をことごとく否定する生活をおくっているのがわかってからも、詩や絵画という尊ぶべきものを愛するがゆえにとどまりつづけた。グリニッチがまだ街に呑みこまれていない静かな村だった、全盛期の詩人や画家を思いうかべ、浮かれ騒ぐ者たちが
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